金木の町をとぼとぼ歩く。
まずは太宰治疎開の家へ。
中に入ると「太宰の作品は読まれましたか」とまず聞かれる。
「えーいくつかは」
「よろしければご案内いたします」
「お願いします」
というわけで案内係の男性が資料を片手に丁寧に説明してくれた。
「戦禍をのがれてふるさとに疎開した太宰は、妻子と共に1年3ヶ月余り生家に暮らし、
数々の作品を執筆した。」そうだ。
「(十月)二十七日十九時、上野発急行列車。満員だった。私たちは原町まで、五時間ほど立ったままだった。
・・・
翌朝八時、青森に着き、すぐに奥羽線に乗りかえ、川部という駅でまた五所川原行の汽車に乗りかえて、もうその辺から列車の両側は林檎畑。ことしは林檎も豊作のようである。
・・・
五所川原から更に津軽鉄道に依よって四十分、北上したところに在るのである。 」
(故郷より)
11月1日夜に上野をたって昼にここについた私とちょうど同じ時期に同じルートで来たのだと説明してくれた。
この座敷の火鉢の横に座って執筆したのだそうだ。
で、私も同じようにしてみてはどうでしょうと勧められて写真を撮ってもらった。
廊下の床は箱根の寄木細工。
洋間にはこの部屋で撮られた太宰の写真も飾られていた。
次の目的地へとぼとぼ。
こんな標識。
走りませんでしたが。。。
というわけで続きます。。。
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